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2021年7月15日

中高年の健康戦略(38) 「もの忘れ」富士通川崎病院 顧問 行山康

 今回は中高年の健康戦略のいわば「実践編」といったことです。
 ほら、あの紫色の、えーと、北海道に大きな畑があって、確か山梨のほうでも栽培されていたな、本州の何処でも栽培出来るのだが、あの匂いが特徴的な、ここまで出てきているのだがあの名前、思い出せないな。
 ゲーリー・クーパーよりは新しく、西部劇で活躍した映画俳優で、いかにもアメリカ人という感じの、「騎兵隊」とか「黄色いリボン」にでていた、顔ははっきり目に浮かぶんだが、名前がでてこない、ハリウッドの岡の上に住んで、うーん、あの俳優はなんといったかなー。
といった経験は誰にでもあるでしょう。
 ラベンダー、ジョン・ウエインなどといった片仮名の名称は特に記憶から脱落しやすいものです。こうした物忘れの局面にどのように対処すべきか。
 こんなことは思い出せないからといってどうってことはない、記憶は歳をとれば衰えるのは当たり前だ。どうでもよいことが頭の中に一杯詰まっているはずだ。思い出す事は放棄して、自然にまかせようという、いわば放棄、「自然派」のひとがいます。
 なんとか思い出さないと、落ち着かない。絶対に知っていることなのだから、こんな事を覚えていないなんて自分はどうかしている。絶対に思い出すぞ。衰える脳の働きを活性化するためにもあくまでも思い出そう。というあくまで「追求派」のひともいるでしょう。
 健康戦略として「自然派」がのぞましいか、それとも「追求派」路線をとるべきか。これは日々の生活を続ける中で、案外と大きな問題のこともあります。
 自然派のひとには、ろくでもないことをいつまでも頭につめこんでおくより、もっと創造的に過ごしてゆきたいという潜在意識があるのでしょう。しかし、例えば銀行カードの暗証番号とか、重要な待ち合わせの約束を忘れるわけにはゆきません。追求派のように普段から、物忘れ撲滅の生活態度をとっていないと、うっかりミスに足をすくわれる危険があります。
 一方、追求派のひとはなにごとも粗略にしない生活態度をもっています。些細なことで物忘れをすることがあってもきっちりと思い出す努力をします。なかなか思い出せないと、鏡の前のガマガエルのごとく、あぶら汗を流しながらでも脳の片隅にしまわれた名称をひっぱりだそうとします。脳にあることは自分の人生の軌跡そのものだ、大切にしようという態度です。
 加齢にともなって、脳細胞が1日30万個脱落してゆくことを考えると、これは大変なことです。石を山の上まで持ち運ぶと、神によってすぐ元に落とされてしまうギリシア神話のシジフォスをおもわせます。忘却しては思いだし、忘却しては思い出す事を繰り返します。
 追求派の問題点は忘れた事を思い出すのに熱心なあまり、ほかの重要な事が目にはいらなくなることです。
 健康戦略としてのぞましいのは適度に「自然派」、適度に「追求派」であることでしょう。

 もっとも避けねばならないことは、ああ、こんな事も忘れている、自分の頭はどうかなってしまった、とがっくりと落ち込むこと。そうしたおもいは「老い」の気持ちを深めます。
 記憶というのは、一つ一つの言葉が脳の中の決まった箱におさめられたようになっているのでなく、幾つかのことが絡み合って海に漂っているというイメージです。
 ラベンダー、良い香り、紫の花、北海道などが一塊(ひとかたまり)となり、またジョン・ウエイン、映画俳優、西部劇、アメリカ人などが絡まって一塊となって記憶の海に漂っています。
 「物忘れ」はその塊の一部がかけ落ちることです。生物体としてのひとは生長期を過ぎれば衰退期にはいり、やがて滅んでゆく。それこそ140億個ある脳細胞が成長の頂点を過ぎれば、日ごとに30万個脱落するフェーズにはいります。みんなが同様に経験している事です。
 すなわち「物忘れ」は生物体としての人の自然現象なので「老化」がすすんだことの指標とは関係がありません。一人だけ落ち込んで「老い」の気持ちを深めることもないでしょう。
 大切な事で忘れたことがあれば追求派の態度をもってしっかりと思い出し、補充強化して再び記憶の海に放り込めばよい。幸いなことに記憶はいくつかのもの、ことの塊なので思いだす道は開けています。すなわち「連想」によって「想起」する道です。
 また最近、急激な進歩を示すインターネットの「検索」機能をつかうと、もっと楽に思い出せるでしょう。

 一方、忘れたいと思ってもなかなか忘れられないような、つらい記憶、嫌な経験の記憶もあります。おそらく、記憶の海を大きな塊となって漂っているのでしょう。忘れたいと思っているのだから早く忘れてしまえばよいのですが、そこにはひとそれぞれの人生の事情があります。こうした記憶の一部にはいつまでもひきずっているとからだの健康にも影響が及ぶ場合があるので要注意です。
 こうしてみると中高年には「物忘れ」ということに嘆き、焦りを感ずることがある一方で、忘れようと思ってもいつまでも脳の中に居座っている記憶もある、じつに不思議です。
 「もの忘れ」は自然現象として中高年によくおこることですが、このありふれたことの奥深い意味について、今一度、思いをいたしてみてはいかがでしょうか。
(この項終わり、次号に続く)



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